喪中はがき、気が付けば12月末で準備していなかった…

今年の7月、父が他界しました。
私にとっては初めての肉親の死であり、これは正直かなり応えました,,,

あまり身の内話をしてもしょうがないのですが、問題は茫然自失で喪中はがきの準備を忘れていたこと。

自暴自棄になっていたというのが正しいかもしれません。

いずれにしても、気が付いた時にはもう12月末であり、どうしたものかと。
今から喪中はがきの準備をしても、私の喪中を知らない方からは年賀状がいっぱい来るだろう。
今から準備しても逆に気を使わせるのではないか、、、

というわけで、喪中はがきは出しませんでした。
代わりに寒中見舞いで対応です。

こういう経験はしたくありませんが、寒中見舞いでカバーできるということを知っただけでも良い勉強になった次第です。

また私よりも切羽詰まったケースでは、12月に身内が亡くなった場合ですよね。
もう喪中はがきどころの話ではないと思います。

一応、12月の初旬なら喪中はがきで、それ以降なら寒中見舞いで、という対応がスムーズのように感じました。

この辺、詳しくは「喪中はがき、12月に亡くなった場合はどうしたらいいの?」を読むと良くわかります。

癌だった父、とにかく早く検査を受けさせてあげれば良かったと後悔

今年、父がガンで亡くなりました。

その3年ほど前から背中が痛いと言っていたのですが、ただの肩凝りからの痛みだろうと放置していたんですよね。

あとから聞けば会社の健康診断も全然受けていなかったみたいで、無理やり母が連れて行った検査で、骨や筋肉の問題ではないから病気の可能性があると言われたそうです。結果、ガンでした…。

そんな感じで数年放置していたので、すでに手遅れだったそうで、入院して手術もしたものの、回復しませんでした。

私はちょうど前の仕事を辞めたところで父の看病に行くこともできたのですが、当の父が嫌がったんです。

私は入院中、手術前日しかお見舞いさせてもらえませんでした。

毎日毎日、母が病院に通っていました。

きっと父は、娘である私に、自分が弱って行く姿を見せたくなかったのでしょう。

最後は自宅で過ごすことを望み、父は退院して帰宅しました。
それでも父は、私が部屋に行くことすら嫌がっていました。

母がどうしても外せない用事のときは食事を運ぶことくらいはしていましたが、着替えや身体をふくとか身の回りの世話は全部母の役目でした。

私は父が寝ているときにそっと部屋を覗いていたんですが、どんどん痩せて行く姿が痛ましかったですし、そうすると楽なのか、赤ちゃんみたいに手足を曲げて寝ているのが見ていて悲しかったです。

これだけの準備期間がありながらも、12月末になっても喪中はがきを忘れていた私、、、ホントにダメですね。

お墓まいりをしたり、父の命日が近づくたびに、もっと早く検査していたらまだ生きていたのかなあと思います。

父が全然健康診断を受けていないなんて知らなくて、ガンになるまで父に対して関心が全然ありませんでした。

口うるさい父でしたが、毎日5分くらいは会話してたら、異変に早く気づけたのかなあと後悔しています。

喪中ハガキを作った時、祖母を車で遊びに連れていければと涙しました

亡くなった祖母は、自動車の運転免許を持っていない人でした。
昔の世代の女性なら珍しくないことかもしれませんが・・・。

いつもスクーターで移動していたのですが、年齢を重ねてめっきり体が弱ってからはそれも亡くなり、近所を徒歩で移動するくらいしかしなくなってしまいました。

私は自動車の免許を取った後に、結婚して家を出てしまったのですが、自分の車に祖母を乗せてどこかに出かけたことが数えるほどしかありません。

一度、小旅行のつもりで遠出をしたことがあったのですが、その時とても喜んでくれました。

祖母が亡くなってかなり経ちますが、生きているうちに、もっといろいろなところに連れて行ってあげたらよかった、としきりに後悔しています。

温泉が好きだった祖母ですので、まとまった休みでもとって、どこか風光明媚な土地の温泉に連れて行ってあげたら、どんなに喜んだだろうと思います。

祖母を自分の車に乗せたときの数少ない思い出の中で、祖母が話していたこと、祖母の表情などを思い出すこともあり、懐かしくてたまらなくなるとともに、どうしてもっとそういう思い出を増やさなかったのかと悲しい気持ちになります。

当時は私も若かったこともあり、目まぐるしく日々を送る中で、家族への思いやりがなくなっていたのかもしれません。

天国の祖母が、もし私が後悔していることを聞いたら笑って許してくれるだろうとは思いますが、もし時間が巻き戻せるなら、二人で過ごした時間がまた再現されるといいなと願わずにいられません。